コロナ収束後の世界

不安を乗り越えて新たな段階へ

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)がパンデミック(世界的流行)からエンデミック(ある地域で一定の期間で繰り返す流行)に移行する、次の、そして望むらくは最後の段階は、もはや我々の社会にとって目新しいものではないだろう。むしろ代わりに必要となるのは、心理的な発想の転換であろう。85%という世界有数のワクチン接種率を誇るシンガポールのリー・シェンロン首相は、この問題をうまく総括し、「私たちは、コロナに配慮すべきだが、不安によって身動きが取れなくなってはならない(中略)ワクチン接種によって、新型コロナは、我々のほとんどにとって、治療可能な、軽度の病気になっている(中略)したがって、98%の人々は、新型コロナに感染しても、インフルエンザに感染した場合のように、自宅で自力回復することができる」と述べた。

それにもかかわらず、世界はコロナ禍前と同じとはならないだろう。我々はニュー・ノーマル(新常態)に入ろうとしている。20世紀初頭の世界恐慌は各国の経済関係に構造的変化をもたらし、長期的な傷跡を残したが、コロナ禍も例外ではないだろう。実際、人々の行動(ワーク・ライフ・バランスなど)、企業の経営(ジャスト・イン・タイムの在庫管理)、世論(地球温暖化や所得格差に対するうねりなど)、政府のアプローチ(より積極的なケインズ主義政策の活用など)に根本的な変化の兆候がすでに見られる。それは同時に、積極的な変化のための数十年に一度の機会を表しており、英国のウィンストン・チャーチル元首相がかつて言ったように、危機をチャンスとし、この経験を無駄にすべきではない。

新型コロナウイルスのパンデミック収束は、長期的な予測をどのように行うかについてエコノミストを困難な立場に置いている。多くの点で、現在の見通しはパンデミック発生時よりも複雑になっている。長期間にわたり確立された経済関係の構造的変化を前もって特定することは決して容易ではない。このため、失業率や政策金利などの)新たな均衡水準(=景気を減速も加速もさせない水準(自然失業率、自然利子率))がどうなるかの予想はもちろんのこと、インフレ上昇が一時的なものかどうかを巡る一大議論が引き起こされている。これらの点を念頭に置いて、野村のグローバル・エコノミクス・チームは将来の予想に踏み込んだ。今後の重要なマクロ経済のテーマがどのように展開していくかについて、以下に挙げる11のトピック(太文字部分)について野村の見方を手短に紹介する。

上記をまとめると、新興国を筆頭に、世界経済の潜在成長率が一段と低下すると予想され、民間部門の貯蓄が投資を上回って伸びている状況と相まって、既に低い自然利子率のさらなる低下を招く可能性が高いと考えられる。これは、足元の金融引締め局面における政策金利の着地点が過去よりも低くなることを意味する。また、自然利子率が低下すれば、将来の景気後退に対する中央銀行の対応は、これまで以上に非伝統的な金融政策を活用する、より革新的なものとなる必要があろう(マクロ政策対応の進化)。積極的な財政発動によって、地球温暖化や所得格差拡大といった世界的な懸念に対処する可能性が高いが、一部の国では公的債務の持続可能性が制約となっており、中央銀行と政府のさらなる協調が必要となる可能性がある。新型コロナウイルスは明らかに所得不平等を拡大させており、政府がキャピタルゲイン課税、相続税、住宅、ユニバーサル・ベーシックインカムなどの所得再分配政策にもっと力を入れない限り、社会不安に拍車をかけかねない。

今回のパンデミックに固有の特徴として、深刻な景気後退に通常は伴う企業倒産の増加がみられないことがある。倒産の顕在化が遅れているに過ぎないとみる向きもあるが、我々はいくつかの理由から、企業倒産は抑制された状態が続くと考えている。しかし、自然失業率は上昇すると予想される。これは、一部の中央銀行が経済を以前よりも「ホットな(過熱気味の)」状態に維持するという、新たなリスク管理アプローチを採用しており、これはほぼ定義上、当初は一部の中銀の政策対応が後手に回ることを意味するためである。また、インフレ上昇は予想したほど「一時的」ではないことが明らかになっているが、我々はなお、供給の制約が緩和される22年にはインフレ率が低下するとの見方をとっている。とはいえ、複数の国では、インフレ期待の高まり、住宅ブーム、脱グローバリゼーション、環境規制強化に伴うコスト上昇、労働者の交渉力増大といったいくつかの要因により、コロナ禍前よりもインフレ率がやや高めに推移する時代に移行する可能性があることは認識している。

野村では地球温暖化に対する世界的な取り組みが強化されると見ており、世界的な最低炭素税の導入がカギとなると考えている。しかし、そこまでの道のりはスムーズではないだろう。その原因として、新興国と先進国との間の公平性に関する意見の相違が挙げられる、これは炭素国境調整税の課税によって増幅される可能性がある。また、より環境に配慮した体制に移行することに伴いインフレ圧力が強まることも原因となろう。

続いて、コロナ禍によってもたらされ、定着する可能性が高い家計と企業の新たな行動様式を特定するための枠組みを示す。家計世帯については、郊外居住への移行、遠隔医療の利用拡大、Eラーニング、ネット通販、配信(ストリーミング)サービス、国内旅行の増加などが挙げられる。企業部門においても、技術や研究開発への投資の増加、社員の安全とESG(環境・社会・ガバナンス)の優先、地理的に分散した顧客の開拓など、ビジネスモデルを変更する可能性が高い。さらに、今後、新興国の通貨危機がより頻繁に起こると予想する。低いワクチン接種率、中所得のワナ、マイナスの実質金利水準、米FRBがよりタカ派の政策を志向するリスク、双子の赤字(財政赤字と経常収支赤字)リスクなどが主な理由である。これは、新興国に対する投資家の選別的姿勢の強まりにつながろう。最後に、野村のグローバル為替チームが、新型コロナが「常態化」する世界における観光業の中期的な将来像を示す。旅行者動向は中期的にはより安定した回復軌道に乗っているとみられ。こうした点から、例えばアジアでは、タイが世界的な国境再開と移動の正常化による恩恵を最も強く受ける可能性が高いが、中国人の国外旅行は2022年も引き続き低調になると予想されるため)、再開・正常化のプロセスは徐々に進むことになろう。

『コロナ収束後の世界』2021/11/17 より

著者

    ロブ・スバラマン

    ロブ・スバラマン

    グローバル マクロ リサーチ ヘッド

    クレイグ・チャン

    クレイグ・チャン

    新興国戦略 グローバルヘッド

    雨宮 愛知

    雨宮 愛知

    米国 エコノミスト

    ジョージ・バックリー

    ジョージ・バックリー

    欧州 チーフエコノミスト

    美和 卓

    美和 卓

    野村證券 シニアエコノミスト

    ティン・ルー

    ティン・ルー

    中国 チーフエコノミスト

    ソナル・バルマ

    ソナル・バルマ

    インド・AEJチーフエコノミスト